四季の森空間blog

20121027

第1回歩こう会

第1回歩こう会を絶好の秋日和のもと12年10月26日に行った。

コースはNTから柳瀬川沿いに上流へ行くもので

→清瀬金山公園→滝の城城址→東光寺→天神社→NTの約14kmの距離で

あった。時間は9時出発14時期着の5時間だった。参加者は9名。



様子をムーヴィー風に纏めました。





余談を一つ



滝の城は武蔵の多摩・入間・高麗を支配していた信濃出身の大石氏が戦国

時代に築いた城で、柏町にあった柏の城とともに大石氏の支配下にあった。

天文15年(1546年)の河越夜戦で大石氏の主君であった関東管領の山内上杉

憲政が北条氏康に敗れると14代の大石定久は氏康に服属し、この地方は後

北条の支配下に入った。定久は氏康の次男氏照を養子に迎え家督を譲って

滝の城は北条氏照の持城となった。



松本清張の小説「黒い空」(角川文庫)は、河越夜戦で山内上杉憲政が敵

前逃亡したために扇谷上杉朝定が北条勢に討たれてしまい、400年の時空

を越えて扇谷上杉の末裔が山内上杉の末裔に遺恨を晴らすという内容のも

のである。



山内上杉憲政はその後上州の平井城(関越ハイランドの近く)に逃げ、更

に越後の長尾景虎を頼って逃げ延び、官職と名前を引き換えに延命を図っ

た卑怯な男であったらしい。長尾景虎はその後上杉謙信と改名して関東に

影響を持とうとした。上杉憲政は越後へ逃亡する際にその子竜若丸を残し

て逃げ、竜若丸は山王ケ原(現大和市付近)で首を刎ねられた。関東管領

職の上杉家は始祖上杉頼重の二代目になって扇谷・詫間・犬懸・山内に分

かれ互いに権力争いをして扇谷・山内の二家だけが残ったが扇谷は河越で

絶え、山内も謙信の元で余生を送ったものの越後で絶えた。



なお、河越夜戦は日本三大夜戦と言われるものの一つで、10倍もの敵を破

った北条氏康快勝の戦であった。明治の頃河越東明寺(裁判所近くに現存)

を掘ると夜戦の死者の人骨が夥しく出土した。また、扇谷上杉朝定を補佐

していた難波田憲重は夜戦時に東明寺の井戸に落ちて落命した。この難波

田憲重は錦が原ゴルフ場近くの難波田城の城主だった。この何もないと思

っていたニュータウンの近辺にも様々な歴史が埋まっている。

<終わり>
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20121024

 第12回東西対抗ゴルフ  

2012年秋の東西対抗ゴルフは、誰もが憧れる宮崎フェニックスだった。
10月23日 トムワトソンゴルフコース
     優勝 橋本
     2位 杉浦
     3位 松本
     BG 杉浦 95

10月24日 フェニックスCC
     優勝 加嶋
     2位 加瀬
     3位 森  
     BG 曽我部 98

総合優勝 杉浦

皆さん、御目出度うございます。
東西対抗は1日目は西軍、2日目は東軍で引き分け。



動画風にまとめてみました。

 



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20121018

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